日中外国語専攻の比較

日本に行ってから、多くの総合大学は外国語学部を設けていないということに興味深いと感じた。その代わりに、各学部の下に特定の学問に関わる何何語学科がある。例えば、経済学部の下に経済関連の外国語を教える学科がある。そして学部各自の外国語学部と言っても、ほとんど全学共通で、学内の皆さんが自由に選ばれる。が、もちろん、外国語大学の場合ではちゃんとした外国語学部が備わっている。

それに対し、中国では総合大学・師範大学・専門大学を問わず、ほとんど外国語学部を設ける。そして学部・学年の間に境目意識も強くて、学部・学年を越え受講・傍聴することも認めなくて、許さない。自分も発見された他学部の学生が叱られながら追い出されてしまうことを目撃したこともあり、今思い出しても驚く。

語学を学びたい人が学べない一方、学びたがらない人は入試で外国語学部に配られて、どちらも大変になってしまう。そして語学人材も供給過剰の状況に陥ってしまって、就職シーズンで学部改革しろという呼びかけがよく聞こえる。

この角度から見ると、日本の外国語学科はより柔軟で、実用性が見えると思う。

神田古書祭に出掛ける

なぜなら

パリは移動祝祭日だからだ

ヘミングウェイ

日本に留学する前に、神保町のことはもう知っていた。神保町は百年前の中国人街で、中国関連書籍が山ほど残っており、古本街も段々と形成してきたという。SNSでは色んな人が神保町で買ったものをアップしており、主には中国で探しにくい中国関連の古本で、羨ましかった。

昨年三月、東京に来たら、直ぐに神保町に行って、漢文・漢詩や近代文学に興味のある私にとって大満足だった。あの頃も「春の古本祭」があったが、用事があって、参加できなくて、残念だった。そして十一月に向かって、第六十回神田古本祭が開催すると聞いて、絶対行きますと決めた。

『漢詩と日本人』を買った。漢文愛・漢詩愛のある私は、漢文・漢詩は如何に中国以外の国に受容されたのに関心を持っているから、関連資料が見つけたらすぐ読む。この本は日本人が作った代表的な漢詩を集めったから、日本の漢詩世界への鍵だと思う。

日本語に関する本も買った。『日本語誤用・慣用小辞典』と『かなり気がかりな日本語』だった。『かなり気がかりな日本語』は、大学生言葉・出過ぎる助詞・当世敬語表現などを分析する。

『アイヌ神謡集』も二冊買った。最初アイヌという民族を知ったきっかけは宮崎駿の映画だ。そしてこの民族に興味を覚え、昨年八月も函館市北方民族資料館に見学し、アイヌの言葉や風習など、色んなことを学んだ。早大にもアイヌ語の授業があるが、他の授業があり、選択できなくて惜しかった。だが神保町でアイヌのものともう一度会えるのは、嬉しかった。何かの縁かも知れない。二冊だが、内容は同じだ。エディションだけが違う。この二冊は同梱していたから一緒に買った。

プレゼントとして『東方年表』という本も買った。漢字文化圏の国々の年号を載っている。

『女性解放思想の歩み』も買った。今フェミニズムは段々と話題になっており、わからなければならないと思うから。

『カラーブックス』の本も買った。『やきもの入門』と『やきもの風土記』だ。このシリーズは日本の歴史や風光を中心に、それぞれのテーマを設け、代表的な写真をたくさん選んだ。使った紙の質もよかった。でも全シリーズの本を一気に揃うのは少し難しくて、ただ好きな本に会ったら買うのだ。

新しい街に出掛ける時、古本屋で買い物するのは大好き。本棚に住んでいる古本たちから、その街の歴史・性格が見えると思う。例えば、郷土歴史の本が多ければ、誇りのある古き街のはずで、普通の観光ガイドに載せなくて地元民しか知らない場所を探せるかもしれない。文学散歩地図みたいな本が多ければ、多くの作者が生まれたり住んだりする街で、文学色な所のはずだ。料理の本が多ければ、地元自慢の美食によく会えるかもしれない。それに、古本に書かれたノートを読んで、まるで元の持ち主たちと対話するようだ。思いがけない本を見つけられても奇遇である。自分の経験として、他の街の本屋で故郷の伝統話芸の台本を見つけたことがある。そのような奇遇が好きだ。

東京に来てから、神保町も何回歩いていたが、毎回も新たな発見があった。神保町古本の数や種類の多さから、東京の賑やかさも見えるのだ。神保町で古本を見つかって、古本を通して出てきた人物や作者、読者たちに会って、楽しかった。神保町があるから、東京は私の「パリ」になった。

「ありがとう」と「すみません」

他の人に助けてもらった時、中国人は「謝謝」(ありがとう)とお礼を述べるが、日本人は「ありがとう」と「すみません」の両方を使い分けている。助けてくれたその人に助ける義務のない場合は、「すみません」と言うのだ。

それは、助けてもらった人に迷惑をかけたことへの謝罪の意味を示すからかもしれない。中国では、そういうことは「迷惑」とはとらないので、単なる感謝の気持ちを表すのみだ。それは、「迷惑」に対する意識の違いである。

私には、違うマナーの生まれる原因が、その国の歴史・社会・文化などと複雑な繋がりがあるから、どちらのほうが良いか、あるいは適当か、という判断はできないので、「郷に入っては郷に従え」ということわざのように、ただ尊重だけだ。

神田祭~人と神の共振~

先着の人々

写真は、今年の神田祭神幸祭です。具体的に言うと、神輿宮入です。

来た

写真を撮った時は夕べでした。近くの展覧会から出たちょうどその時に、遠くから掛け声が届いて、観客もどんどん道に集まっています。しばらくすると、「露払い」の役の人は注連縄を空高く上げて、前に向いて、ゆっくりと来ています。後に付いてくる人たちは、ダボシャツを着ていて、手を叩いたり、後ろに振り返ったりしています。彼らの顔に、興奮の色が見えます。掛け声が益々大きくなって、観客のみんなも話し合ったりスマホやカメラを準備したりしています。

進まないお神輿

ついに来ました。担ぎ手たちは元気満々でお神輿を担いで、掛け声に合わせて進んでいます。だが、あるお爺さんはいつの間にか道の先に立っていて、先着の人たちを指揮して、担ぎ手たちを後ろへ押します。お神輿がやはり後ろへ少し移したが、担ぎ手たちは諦めずに、もっと大きな声を出して、まるで心臓の鼓動のように、お神輿とともに律動しています。熱い雰囲気が溢れて、観客たちも手を叩いて応援しています。やっと進みました。大歓声が上がっています。お爺さんも女性に男性に代わってお神輿を担ぐように指示して、道の先を離れました。

進んでいくお神輿

あの日、昼御饌と祭太鼓も見ましたが、一番感動したのはどっちと聞かれれば、答えはやはり神輿宮入です。神幸祭は「人と神の共振」と言われます。神輿宮入を見ると、実感しました。新時代に入っても、古い伝統をちゃんと守ってきて、今の生活の一部になって、素晴らしいだと思います。

この2年間

自分への認識が深くなってきました。

自己認識と言っても、実は大学に入って2年間になるわりには、何もできずにこのまま過ごして、悔しくても仕方がないからただの言い訳です。

最初はそのようなつもりではありませんでした。そもそも「自己認識」を念頭に入れて努力する新入生は決していないでしょう、具体的ではありませんから。輝く大学生活に憧れて入試に臨んだ私は、充実で有意義な4年間を過ごすため、作文、料理、プログラミング、英語や新たな言語、様々な自分にとって学ぶべきことをリストアップし、やる気満々で大学に入りました。

ですが、この2年間、どれもただ入門したばかりで、マスターしたことは一つもありません。専攻ではないので知識のシステムを立てにくいからだろうと、私はそう思って、専攻科の教科書を集めて一所懸命独学して、もっと時間をかかりましたが、結局何もできずに、経った時間とともに退化してしまいました。

そして私はついに悟りました、「人間ってのは能力に限界がある」と。これは『ジョジョの奇妙な冒険』という有名なアニメの台詞です。あるキャラクターが力の限界を認識して、「おれは人間をやめるぞ」と叫んで、人間の体を捨てて、悪魔の力を身につけました。「強い力が欲しい」「もっとエネルギーが欲しい」「永遠の命が欲しい」と、これは昔から人間たちの望みです。

せいかぎりあり、しかして知や涯りなし、涯りあるを以って涯りなきにしたがう、あやうのみ

荘子『養生主

荘子のような洒脱な人も、命の短さを慨嘆したことがあります。でも、私たちは人間をやめられません。何を成し遂げるのにも専念が不可欠です。この2年間、私は時間がまだあると思ったら後回し、期限デッドラインが迫ってから夜更かし、そういう風に過ぎしてきました。私には期限の迫った仕事の処理とか並列処理マルチスレッドとかの能力が全然ないと分かりました。時間にもエネルギーにも限界があるのだから、専念してことを一つ一つ完成すべきだと、今はそう思います。

この2年間、私は何もできずに、ただ自分への認識が深くなってきました。

挨拶の勇気

挨拶とはなんですか。ウィキ先生に聞いたら、新たに顔を合わせた際や別れ際に行われる礼儀として行われる定型的な動作のことだとわかりました。小さい頃から、「知人に会ったらちゃんと挨拶しなさいね。そうしなくては失礼になるのよ」と、家族はそう教えてくれました。でも、隣のおばさんに会って、目線が合って、そのまま何秒ずっと見つめ合って、一言も発せず、おばさんも僕もそれぞれ帰ってきました。家族がお隣さんからそのことを聞いたら、「すみません。うちの子、恥ずかしがり屋だから」と答えました。

恥ずかしがり屋?そうかも知れませんね。小学に入ったら、クラスのお世話をしてくれる人、つまり班主任に叱られました、「声小さいすぎ!笑顔は?」と。そして、先生やクラスメートに会ったら、すぐ見なかったふりをして、逃げています。でも逃げられない時もあります。その世話人に見つかってしまいました。「あんた先生にさえできなければ、文明弁の指導者さんが来たらどうするつもり?」

当時、福州が既に「文明城市」(マナー正しい人が集まっている町という意味)に何回かなっていたが、これからもなるように、どこでもきちんと準備しておきました。城市精神、つまり町のスローガンと言われた文の意味も分かりました。「海、百の川をおさめ、容のだいなる有り」と。校長も朝会で、「知人にも知らない人にも、先生こんにちはとちゃんと挨拶しなさい」と指示してくださいました。子供同士、「あの連中は、あちこち人をつかまえて、おいスローガン言ってこらと命令してる」という噂もありました。僕は、スローガンなら答えられるけど、挨拶は全然無理。もし指導者同士に合う人が僕なら、この学校、この街はまさか僕のせいで不文明になりましたか。

放課後、僕はスタスタと図書室へ行きました。その時うちの学校は図書館なんてありません。あったのは図書室だけでした。マナーを教える本を見つけました。「ア=明るく笑顔で大きな声で」、「イ=いつでも誰にでも」、「サ=先に自分から」、「ツ=続けて伝える」と。さすが見事な挨拶。あの時見つかった本にあるのはそんなに簡潔ではないが、かなり分かりやすいでした。そういう見事な挨拶を見事に行える人は委員長だけでした。委員長はかわいいし、成績が高いし、学校のチンピラも怖がらないし、物分りもいいでした。彼女のことが好きだったが、挨拶というファーストステップをずっと踏み出していなくて、結局、彼女が他の人と告白してしまいました。挨拶しても必ずしもカップルになれるとは限らないけど、挨拶しなければ100%できないんです。この本を読んで、闘志に燃えました。

明日指導者が来ると言われました。廊下で世話人にあうと、明るく笑顔で大きな声で「こんにちは!」と言ってしまいました。笑顔はちょっと変だったかもしれないが、先生はびっくりして、すぐに行きました。「なら失礼なほうは先生だ」と思って陽気にクラスに入りました。クラスメートはその時、お互いに挨拶しています。実はふざけていただったけど。クラスのみんなと一人一人挨拶してあかんべえをする人もいました。僕もこれをきっかけに委員長にちゃんと挨拶しました。委員長も「こんちゃ」と言ってくれました。

授業の前に、世話人は「今日は外に出ないで。指導者さんはクラスに入りたがるかもしれないから、もしここに来たら、ちゃんと挨拶しなさい」と言いました。世話人が来たら僕は絶対に委員長の前にちゃんと挨拶してスローガンを言えるから大丈夫。

でも指導者らしい人にはずっと会わなくて、福州も無事で文明城市になりました。良かった。

僕はこの後、自然な挨拶はあまりにもできなくて、今でも挨拶苦手だが、ある見事な挨拶の仕方を教える文章を読んだことをきっかけに、こういうことを思い出しました。見事な挨拶より、挨拶する勇気を出すほうは大事でしょう。

ソフトクリーム、なめる派?かじる派?

最近ますます寒くなっていますが、寒ければ寒いほどソフトクリームの美味しい季節を思い出します。今日はソフトクリームの食べ方について話したいです。

ソフトクリームの食べ方はだいたい2つあります。一つは「舐める」、一つは「かじる」に分けられます。私は口を開けてかじると、幸せが感じられるから、かじる派ですが、小さい頃からいつも両親に「そんなに速く食べないで」「お腹痛くなるよ」と言われます。それに、映画やドラマで見ると、主人公はいつも美しいミュジックと一緒に、ソフトクリームをゆっくり舐めています。なんと優雅でロマンチックな光景でしょう。悪人でさえ自分の陰謀を噛みしめて得意になりながら、ソフトクリームを舐めます。かじるのは私だけみたいですね。

でも最近調べてみたら、「舐めるのは失礼」と考える人もいると知りました。「正しい食べ方」という研究もあるそうです。ただのソフトクリームなのに、正解も不正解もあるのかとビックリしました。そもそも食べ物は食べられて満足感を提供するだけのもので、舐めようがかじろうが好きにしていいと思います。マナーを守るのはもちろん必要だと思いますが、途中で溶けても地面をベタベタにせず、食べたらちゃんとゴミ箱に捨てれば、つまり他人に迷惑をかけなければ十分だと思います。皆さんはどう考えますか。

最後は皆さんに質問。ソフトクリームの食べ方、どちらが好きですか。

一番楽しかった時間

カニ味噌の豆腐

この写真は友達と蘇州へ旅行する時に撮ったのだ。カニ味噌の豆腐を食べているところだった。豆腐を噛むと、カニの味がしていた。友達と一緒にあっちこっち歩き回ったり、美味しいものを食べたりして、幸せだった。この時は私にとって、この一年で一番楽しかったのだ。

じゅん菜スープ
じゅん菜スープ

あの時食べた美味しいものはこれだけじゃなかった。有名な料理いっぱい食べた。中国では、じゅん()おもいという四字熟語がある。昔々、ある江南出身の大官は故郷に帰りたがって、「わし、蒓鱸のことを思い出したぞ」と言って、職を辞めて、家へ帰っちゃった。面白いストーリーだと思う。このじゅん菜を噛むと、つるつる、ぽりぽりと感じられた。スズキも美味しかった。

エイサーとの出会い

私はエイサー太鼓を叩くことが好きだ。

高校生時代、宿題をする時、よくイヤホーンで沖縄の音楽を聞いていたのだ。「イーヤーサッサー」と言う囃子詞を聞いて、とっても元気だと思っている。でもその音楽に太鼓もつけているなんて、ずっと知らなかった。

大学に入ってから、ある先輩に「君、日本語を専攻するのなら、エイサーサークルに入ってみたら?」って言われて、エイサーの試合を見た。感動した。「沖縄の音楽と共に演じるか」と思って、入部届を出した。それが太鼓との出会い。

その後、先輩と同級生と一緒に風と共に舞っている。さきおとといは福建省内大学エイサーサークル交流会に参加した。とっても嬉しかったのだ。